かいじゅうのくらし

健康で文化的な生活を送るためのブログ

継続するということ

勉強が好きだった。あれほど目的が明確で、成果の見えやすいものはないからだ。


〇〇大学に合格したい(目的)。そのためには、△△点が必要である(成果)。逆算すると、1日××時間くらい勉強すればよいだろう(やるべきこと)ということがわかる。あとはひたすらその(やるべきこと)をこなせばよい。


目的が決まっていて、やるべきことが決まっていて、成果が数字に表れる。


社会に出ると、勉強が(そして学校や受験というシステムが)いかに明確なものであったかよくわかる。
仕事なんて、目的もわからない、やるべきこともわからない、成果も見えないことばかりだ。


社会は複雑だ。勉強はずっと簡単だ。


真面目な優等生だったわたしは、実は勉強の方で大きくつまずいたことはなかった。
でも、社会に出てからはつまずくどころか、たぶんすっ転んで頭を打ったうえ、坂道を転がり落ちていると思う。


どうにか「あの感じ」を取り戻せないだろうか?


河原でサッカーをする少年たちを見ながら思った。「あの感じ」とは、受験生の時に勉強をしていたあの感じである。中学生の時に部活をしていたあの感じである。やることが明確化されている生活。目的に向かって、ひたすらやるべきことを積み上げる「あの感じ」。


高校3年生の夏休みから、わたしは1日の勉強時間を測るようになった。時間より効率だと言って、量から逃げることをやめたのだ。スタンプカードをつくった。勉強を1時間したら、トトロのスタンプをひとつ押した。夏休みが終わるころには、スタンプカードはいっぱいになった。

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そうしないと不安だった。


小さなスケジュール帳に勉強時間を書き込んでいる生徒がいて、えらいねと声をかけたら、彼はちょっと照れ笑いして「不安なんです。自信がなくなった時にはこれを見返すんです」と言っていた。いつかの自分を見ているようだった。


そうだ、スタンプカードだ。


社会の荒波に呑まれ、もみくちゃにされてしわしわになってしまったわたしは、実はいま自分が何をしたいのかも、何をすればいいのかもよくわかっていない。でも、何かはしなければいけないと思う。なんとなく。積み上げた努力は、たぶん何かにはなる。そのことは受験のときに気づいている。ひたむきに努力さえしていれば、思ってもみない大学に受かることだってあるのだ(第一志望とは限らないが)。


だからまずは初心に帰って、量を積むところからはじめてみようと思う。


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